2016年1月27日聖書研究

ヨハネの手紙一5章1~5節

神の子どもであること
 「イエスがメシア(救い主)であると信じる人は皆、神から生まれた者です」(1節)。私たちはふだん、自分は親から生まれたと考えています。それはごく当然のことです。ただ、私たちはそうした「自然の営み」の中に「サムシング・グレート」を感じることがあるのではないでしょうか。それは、自分が「自分だけで生きている」ことから、「創られた者」としてある、という思いへの転換です。
 イエス・キリスト自身も、世間から見捨てられ、神にも呪われているとさえ言われた人々のところを訪ね、癒してまわり、そういう人々を弾圧していた当時の宗教者たちと対立しました。十字架に架けられるときにすら、ゆるしと敵を愛する心を示されました。そのようなイエス・キリストのご生涯は、「本当に、この人は神の子だった」という思い、「信仰告白」を与えました。それは、イエス・キリストが示された愛と自己犠牲の生と死において、神の姿があらわされているからです。神は高きにいます方であるのではなく、私たちのところで、ともに生きて働いておられる方なのです。
 そして、イエス・キリスト以外の人間、イエス・キリストを「救い主」と告白する人もまた、「神の子」と呼ばれます。
 「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」(ヨハネによる福音書1章11~12節)。
 「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実そのとおりです」(ヨハネの手紙一3章1節)。
 それは、私たちに何か特別な能力があるとか、よい人だからということではありません。イエス・キリストを信じることによって、自分が「神から生まれた者」であることを受け入れる。そのことによって、神との新しい関係が始まるのです。神の前に生きようとする生が始まります。それは、イエス・キリストのあり方をまねることでもあります。私たちを縛っているあらゆるもの・思い込みや考え方からの解放のときでもあります。