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2015年12月9日聖書研究

ヨハネの手紙一2章1~17節

キリストを信じる者の罪
ヨハネの手紙の著者は、キリストを主と告白する者が罪をおかす存在であることを知っていました。一度の洗礼でその人自身が全き者となるということはないのです。イエス・キリストのことを「弁護者」と呼んでいます。「パラクレートス」という言葉です。公正であり、代弁してくださるイエス・キリストの存在がただ過去のこととしてあるのではなく、今の生活のただなかにも働いておられる、それがこの著者の語ろうとしていることです。
「神の掟」とは、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15:12)のことを指しています。ヨハネⅠ2章では、ヨハネ14章の「パラクレートス」(代弁者)、15章の共同体の愛と対応するように置かれています。教会内の一番大切な事柄であると確認しているのです。「神を知っている」のは、知識によるものではありません。ヨハネⅠの教会では、イエスのわざを観念的にとらえて、人として歩いたその姿を否定する者がありました。「愛すること」は痛みを知っていることであり、自分の身に傷を負うことでした。イエスの歩みはその「極みまで」(ヨハネ13章)、愛する歩みでした。「神の言葉を守る」とは、そのイエスの歩みに従うことをさしています。
「神の掟」は申命記6章5節「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」、レビ記19章18節「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」と、すでにイスラエルに告げられてきました。しかしイエスにおいて、実際の姿が明らかになったのです。それは「新しい掟」と呼ばれます。ヨハネ共同体に特徴的なことは、「兄弟」間の愛が共同体内部に向けられていることです。教会は大きな危機の中にありました。内部においては、異なる教えとの闘いがあり、外部では「世も世にあるものも、愛してはいけません」(15節)のような闘いがあったのです。「世を愛する」とは、ヨハネで繰り返し語られていたように、イエスを認めない勢力を愛することです。「自分の命を愛する者は…」(ヨハネ12章)のように、永遠を思う姿勢を見いだせない、イエスの救いを見いだせないあり方のことを語っています。

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