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出会い-「わたし」は出会った人たちと共に織りなす集合体-ティーンズのためのキリスト教入門①

最近、ゆっくり会って話してないね。小学生の頃のように、子どもの教会で学校の友だちのことを話す時間も取れなくなって。もっとキリスト教や聖書のことなど語り合いたいな、と思うけれど、あなたもなかなか忙しいようだし。そこで、伝えたい、と思うことをメールで送ろうと思ったわけです。感想を送ってくれるとうれしいな。

わたしは魔女?

魔女ものといえば「魔女の宅急便」のシリーズが有名だけど、梨木果歩著『西の魔女が死んだ』はわたしの胸にストンと落ちた物語。中学に進んでまもなく、周囲にうまく溶け込めず、「ひとりでいること」が多くなった少女。どうしても学校へ足が向かなくなってしまったころ、季節が初夏へと移り変わるひと月あまりを西の魔女のもとで過ごす。
まいの「心の部屋」の扉を開いてくれた西の魔女、つまり大好きなおばあちゃんは、今はひとりで暮らしていて、自分で何でもやってしまう魔女。まいは魔女の手ほどきを受ける。魔女修行の肝心なところは、なんでも自分で決めること。喜びも希望も、幸せも…。
「魔女」という言葉は、周囲にうまく溶け込めないけれど、自分なりの世界をもっていることをあらわそうとしているのかもしれない。
わたしも読みながら、友だちにシカトされて過ごしたひと夏のことや(おかげで十二指腸カイヨウとやらになった)、みんなと楽しく過ごした後、ふっとひとりになって「本当はあんなこと言いたくなかったのに」と落ち込んだりした「魔女」時代のことを思い出してた。
今は携帯での話やメールで四六時中だれかとつながっているように感じるよね。でも、みんなといる時の自分と「ひとりでいる自分」の間にギャップがあるなあ、と感じたりすることない?
「魔女」(男子なら「魔法使い」かな?)の部分は、(ハリー・ポッターでなくとも!)、実はだれしもが抱えているんじゃないかな。

孤独―心の部屋

「ひとりでいること」と言う時には、まいのように、誰も一緒にいなくて寂しい、と感じる場合もあれば、西の魔女、おばあちゃんのように一人で何でもやってしまったり、自分を取り戻すような気持ちでほっとする場合もあるよね。英語では同じ「孤独」と訳される言葉でも、前者をロンリネス(Loneliness)、そして後者をソリチュード(Solitude)と表現するそうです。
私は、この「孤独」は自分の心の中の部屋に入り込んでいる時だと思ってる。そういう時、外からは「魔女だ」と言われるのかもしれないけれど。それは、その人らしさを養う時でもある。
でも、そんな「孤独」の積極的な面がある一方で、周囲からシカトされ続けたり、無視されたり、見捨てられたような経験をすると、自分の周りの壁を高くして自分を守るほかなくなってしまうこともある。ことに、自分ではどうしようもないようなことを理由に差別される心の傷は癒しがたいほど深くなることもある。その時に感じる「孤独」は「死にいたる病」ともなりかねないよね。

出会い -新たな自分へ

そんな「心の部屋」の中に、「自分らしさ」や「傷」をたくさん詰め込んでわたしたちは生きてる。でも、傷は自分では癒せないし、「自分らしさ」は自分の中だけでは活かせない。
聖書には、主イエスと出会って傷を癒され、自分らしさを発揮した人たちの喜びがあふれてる。
マグダラのマリア。彼女は「七つの悪の霊を追い出していただいた」と記されている(ルカによる福音書8章2、3節)。きっと彼女は、病やさまざまな症状によって苦しんでいたんだろうと思う。そして、イエスの時代は病はからだの問題であると共に、そのことのゆえに社会から孤立してしまうことだったから、周りの人から受け入れられない苦しさにもなっていたんだね。周りの人の「あなたはマイナスだ」という視線は、彼女自身にも「自分はマイナスだ」と思い込ませてしまう。それは自分自身の本来の姿を見失わせていたかもしれない。
彼女はイエスと出会った。主イエスの眼差しと言葉は、神さまからの「あなたはわたしが創った、大事なかけがえのない人だよ」というメッセージを伝えていたと思う。人は彼女のことを外側から「魔女だ」と「七つの悪の霊にとりつかれているマリア」と見たかもしれないけれど、主イエスの眼差しと言葉は、「神さまに創られた大事なあなた」と語っていたんじゃないかな。
それはマリアにとって、何にも代えがたい「グッドニュース」=福音だった。マリアは傷におおわれて見えなかった新たな自分、あるいは眠っていた自分らしさを発見した。その後の彼女はイエスや仲間たちと、同じように傷つき、癒しを必要としている人、打ちひしがれている人に「福音」を知らせる旅を続けた。それはいきいきと「彼女らしい」旅だったと思う。
「わたし」は出会った人たちと共に織りなしていく集合体。多くの人と出会うたびに、「心の部屋」には「あなたはわたしに創られたかけがえのない、大事な人だよ」という神さまからのいろんな呼びかけが届けられている。
礼拝は、そんな呼びかけに応える時。集うひとりひとりが「心の部屋」で主と出会い、そして皆と過ごす時。私はあなたと礼拝で、共に出会いたいと思っているよ。

*この文章は日本キリスト教団出版局『教師の友』2003年4、5、6月号に掲載されました。
増田 琴

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