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2016年1月06日聖書研究

ヨハネの手紙一3章11~24節

 ヨハネの手紙一3章1節には「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさいそれは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです」と記されています。そして、その光に照らしだされて、それが兄弟姉妹同士の愛へと波及します。「兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません」(2:11)。ここでもう一度、「互いに愛し合うこと、これがあなたがたが初めから聞いている教えだからです」(3:11)と記されます。相互の愛は共同(コイノーニア)の基礎です。「交わり」の原語ですが、ギリシャ語では17節・19回使用されています。「交わり」は 当時の古代ギリシャ語では、商売関係を表す用語であり、共通の利害・パートナーなどの意味合いを持っていました。教会におけるコイノーニアとは、具体的な援助であり、キリストの共有です。実践的で、かつ福音の本質を土台としています。本来のコイノーニアの土台あってこその交わりであることを改めて思わされます。
11節から、著者の視点が共同体内の「交わり」に強調点がはっきりと移ります。カインに対する言及は、いささか図式的で、創世記に書かれている範囲を超えています。教会内の言い伝えのようなものに基づいているのかもしれません。いずれにせよ、殺人を引き起こす「憎しみ」は愛の掟を心にとめることができなくなった結果であることを示そうとしています。「愛すること」はいのちを与えることであり、憎しみはいのちを奪うことです。私たちが生きている社会は「いのちを奪う」現実に覆われています。そうした循環の中で、共同体はいかに歩むことができるのでしょうか。「わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます。…神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです」(3:19、20)。信頼の根拠は私たちの側にあるのではありません。そうではなくて、「確信」はイエスの道筋についていくことにあるのです。神は私たちの良心や罪悪感、意識よりも大きい方であり、それらをご存じだからです。

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