2015年11月18日聖書研究
ヨハネの手紙一を読むために
ヨハネによる福音書との関係
ヨハネによる福音書は復活のイエスとの出会いをとても詳細に描き、生前のイエスと歩んだ弟子たちと同じように、今もなお復活のイエスが自分たちと共に歩んでいるという信仰を大切にしています。
神殿崩壊後の危機の時代、律法によって全生活を聖化し、民族としての同一性を保とうとしていたファリサイ派は律法がなにものかにとってかわられるというようなことを容認することは到底できませんでした。ヨハネによる福音書を生みだした共同体は、ユダヤ人社会から排斥されていきます。それに伴い、内と外を厳然として分けて考える考え方が支配的になっています。
執筆事情
そうしたヨハネによる福音書の共同体を引き継いだこの手紙は、外部との軋轢のみならず、内部の問題を抱えていきます。それは神の子は洗礼を受けることによって人々に顕れたのであり、十字架の血を流すことによってではない、という意見でした。人間イエスとは区別される神の子キリストを信じる者が「神を知る者」であるという主張が起こってきたのです。
ヨハネの手紙は、こうした主張に対して「イエスが肉なる人として来た」こと(4:2)、十字架で血を流したこと(5:6)等をあらためて語っています。それは、信じている内容が観念的になっていく傾向に対して、信じている内容が生活に活きているかを問うことでもあったのです。「神の掟を守る」「イエスが歩まれたように自らも歩む」といった表現が繰り返し述べられます。他方で、人間としての弱さをも知っており、全体としてどこへ向かおうとしているかを大事に考えています。
執筆場所と年代
諸説ありますが、ヨハネによる福音書(90年代)以降、遅くとも120年以前の110年ころとされます。シリアとパレスティナの境界、親ユダヤ政策をとっていたヘロデ・アグリッパ2世の領土であるという説が有力です。